航海訓練所練習船の怪

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上のの2枚の写真は1992年頃に撮られたバルクキャリアーで「フィリピナス」という船名でした。私が勤務する会社の岸壁に入港してきました。
名前からわかるように、フィリピンの船です。古いことなのではっきりとしたことはわかりませんが、全長は190mぐらい。総トン数は25,000トン程度だったように思います。商船学校の練習船だと聞きました。フィリピンには私立・公立を含め100校以上の商船学校が存在するそうで、今となってはどこの所属であったかを知る術はありません。しかしながら、5番ハッチ後ろハウス前の上甲板にはバスケットコートのような広い運動スペースがあって、その下には船尾まで非常に多数のポールドが取り付けられて学生の居住区である事がわかった。とにかくハウスから船尾にかけては一目瞭然で、通常の貨物船でない。異様な感じを与えられる。

私は旧青雲丸と現在の日本丸で乗船実習させて頂いたが、フィリピナスを目にした時、「こんな船での実習もありだなぁ」と正直に思った。
帆船で実習するメリットも少なかれ有るだろう。しかし、訓練所の人間が言うほど大した意味はない。帆船は諸外国同様海軍系に属する(ポーランドの大型帆船ダル・モジェジィは商船士官を育てている。商船系学生の為のものもないことはない。)方がその役割を十分に果たせるように思います。

日本丸・海王丸が建造された沿革と帆船の士官
元々、高等商船(旧神戸商船・旧東京商船)は進徳丸2518t(大正13年竣工)と大成丸2423t(明治37年竣工)の練習帆船を使用していた。それらは当時に西欧型横帆装置の帆船実習が法律で義務付けられていたからである。しかしながら、地方公立商船学校(鳥羽、富山、大島、弓削、広島、粟島、鹿児島、佐賀、島根、児島、函館)に西欧型の大型練習帆船はなく、各校は民間会社が所有する帆船に委託するか、200〜1000t程度の小型帆船を建造してこれに対応するしかなかった。[鳥羽商船では「あまき」(三檣バーク型300総トン補助機関付き:上図イメージ)を大正6年に竣工。民間会社と提携し、横浜〜マーシャル群島ヤルート間(椰子の実・コプラ等を輸送)を航海させ実習とした。]
そのため今回の海王丸のような事故が相次ぎ、数々の悲惨な遭難を経験した。
大正 6年  大島商船練習船「山口丸」323t 南鳥島にて座礁・沈没
大正11年 粟島商船練習船「西別丸」182t 玄海灘で行方不明
大正14年 大島商船練習船「防長丸」270t 伊豆神津島にて座礁・沈没
大正14年 鳥羽商船練習船「あまき」300t 駿河湾にて座礁・沈没
昭和 2年  鹿児島商船「霧島丸」998t 犬吠崎沖にて行方不明
したがって、

つづきは、

作者著書