Seamanship
シーマンシップ

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私の育った学校では船乗りのモットーとして 「船乗りはスマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂」 と教わった。これはどうも、海軍が起源らしい。

文面から、「船乗りは太ってなくて、視力が良くて、整理整頓 ができて、根性がある者」と単純に解釈されては困る。4つの 標語の中に座右の銘とも言える深い意味があります。見かけよりも、主にそれらは精神面に反映され、嫌と言うほど身を持って覚えこまされました。 しかし、商船学校ではシーマンシップがどうだこうだと四角張った教育はしないですし、議論される機会もない。はっきり言えば興味もない。
左の写真を見てもらってわかるように、商船の学生なら、そういう感じじゃない。商船学校の気質があるというか、もうちょっと粋なところに耳を傾けた。
商船の三つ釦
(”魔除け酒除け女除け”だったか?)

また、モットー(mottoとは行動や努力の目標とする事柄ですから、日本の商船学校系出身者はシーマンシップと聞けば、10人中9人はこれに似た上記の言葉を口にするのではないでしょうか。

シーマンシップを好んで多用し大目標としているのは、ヨットマンですね。「シーマンシップは精神論ではない、船を安全に航海させる知識・技術」と位置付けているようです。実際、英和辞典を引きましても、
seamanship → 操船術
と、書いてあり間違いありませんが、 ただ、ヨットマンが精神論ではないと断言する根拠が見つかりません。 そもそも ○○○ship とは、名詞・形容詞に添えて次の意味を表す。
1.状態・性質   
2.資格・地位・役職
3.能力・技能
4.関係
5.集団・層 
6.性質・状態を具体化したもの
7.地位・資格を持った人
8.結びつき
friendship
professorship
leadership
cousinship
readership 
fellowship
Lordship 
relationship
(友愛、友情)
(教授の職)
(指導力)
(いとこらしく)
(読者層)
(仲間意識、協力)
(君主の地位)
(かかわりあい)
これらから考えても、seamanship が1〜8の内どれが適当であるか? はっきりわかりません。

シーマンシップを説明する際にスーポーツマン精神(スポーツを通じて養われる総合的人格や技術)と訳されることの多い sportsmanship を例に取り、元々 ○○○ship に精神という意味はないとして、シーマンシップと船乗り魂は違うのだと 逆否定する文献もありますが、私は賛同しかねます。 英語は状況に応じ意訳して構わないからです。 ていうか、素直にSportsmanshipを辞書を調べますと、小学館の英和辞典PROGRESSIVEには、「スポーツマン精神、正々堂々とした態度」とあり、角川さんの国語辞典には、「正々堂々と競技の勝負を争う精神」と書いているのです。この論法のおかしいことがわかる。

また、そこまで英訳にこだわるなら、seaman と yachtsman は 厳密に違うと言わざるを得ません。日本では sailboat をヨットと 呼ぶことが多いですが、本来はそれを含めた動力付き豪華回遊船の総称がヨットにあたります。おおまかに boat や yacht は ship(船) 以外の小型船を意味すると言えます。

seaman は ship(船)に相当する乗組員を呼称するものであって 船舶の操縦者、船員、水夫、船乗りと訳され、どの辞書を見てもseamanという言葉に、ヨットマンや海の男という意味は付記されていません。 従がって、ヨットマンにおいては、seaman に固執せず、ヨットマンシップ yachtsmanship を使用し区別して説明する方が混乱を招かないと、私は思います。

凄いのになると、「ヨットマンのためのシーマンシップ」なんて説明がある。「スーパーマンのための、ウルトラマンシップ」と言っているようなもんで、なんかわけわからへん。なんでそんなに、Seamanを使いたいの? と、なってしまう。

(筆者も若い頃ヨットに)

外国人の船乗りに seamanship の意味を単に聞くと、ヨットマンと同様「船乗りとしての トータル的な技術・能力」と答えるかも知れませんが、必要に応じた技術を論じる場合、現実的に ○○○ship を 知識や技量と訳すのには、やや問題があるように思います。漠然として意図する意味が伝わりにくい。技量は skill 、技術は technique、知識は knowlege、能力は ability と言うのが一般的ですし、わかりやすい。操船術や航海術を seamanship などと言えば間違いなく誤解が生じます。操船術は maneuvering、航海術は navigating と言わないと通じません。 私はヨットの知識・技術・モラルを総称し yachtsmanship と呼ぶことについて全く否定しませんけれど、ヨットも商船も漁船も軍艦も外国船も同次元で考えて、一括りに 「seamanship はこうだ」等と言うのは、 少々こじつけ気味に聞こえ、無理があるように思います。
船乗り(seaman)に関して言えば、知識・技術のない者はもともとプロになれませんから…。原点が異なります。
冒頭申しました「船乗り気質」は、(昔は)多くの船乗りがもち合わせていた。逆にこれを英語に直すとすればなんと言うのですか? それこそ「SEAMANSHIP」がぴったり嵌ると、私は思います。
(日本)商船での、seamanship なる摩訶不思議な言葉は、結論的に精神論と片付けた方がどうも自然のような気がします。
ちなみに 空 airmanship や 山mountaineership (alpinistship かな?)などもやはり技術面を総括した言葉なんでしょうか???

加筆:(2015年)
2000年頃、「シーマンシップは断固精神論ではない。」などとするヨットマンの説明に、なにか物凄い違和感を覚えた。私がホームページを開設した理由の一つが、それである。
私の影響があったのかなかったのか、時代の流れか、この頃は、妥協案みたいに、「シーマンシップには@精神論、A技術、の2種類の意味がある」 などとしているホームページが多いようですけど、ヨットマンシップyachtsmanship の使用を推奨しているのは未だ私だけのようです。
皆さんはいかがお考えでしょう?

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作者著書